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クライスラーは、ベンツになってサーベラスそしてフィアットなのです

クライスラー。かつては「ビッグスリー」の一つとも呼ばれましたが、合併、解消、経営破綻、買収・・・・。一時は、クライスラーはダイムラーと一緒になって『ダイムラー・クライスラー』になり、再び脚光を浴びるはずだったクライスラー。その経緯やその後を調べます!

『クライスラー』って・・・・?!

クライスラーは、アメリカ合衆国の自動車メーカーであるFCA US LLCの自動車ブランドの一つです。
FCA US LLCとは、イギリスロンドンに本社を置く持株会社であるフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)の子会社のことです。
因みにLLCとは、日本語で有限責任会社といい、アメリカ合衆国の各州法に基づいて設立される企業体で、コーポレーションと、パートナーシップの中間的な性質を持っている会社のことを言います。

クライスラーの歴史は、1925年にウォルター・クライスラーが設立したクライスラーコーポレーションに始まり、永年、自動車産業のビッグスリーと賞賛されていましたが、世界的な不況の影響から2009年4月30日に連邦倒産法第11章の適用申請を行うに至ってしまいました。

クライスラー・ニューヨーカー

『ダイムラー』って・・・・?!

ダイムラー(Daimler AG )は、乗用車及び商用車の世界的メーカーです。
2006年のダイムラーの生産台数は、204万台で世界13位。
一方、ダイムラーのトラックの販売では世界最大手であり、三菱ふそうトラック・バスを傘下に持っています。

『ダイムラー』の乗用車はメルセデス・ベンツ、スマート、フレイトライナー、その他のブランドで販売されています。

ダイムラー・メルセデス・ベンツ GATAG

『クライスラー』と『ダイムラー・ベンツ』との合併

1998年、当時のダイムラーベンツ会長であるユルゲン・シュレンプの主導により、ドイツの『ダイムラーベンツ・アーゲー』とアメリカ合衆国の『クライスラー・コーポレーション』の事業結合契約に基づき『ダイムラー・クライスラー』が誕生しました。

1998年型コンコード

『ダイムラー・クライスラー』誕生により、乗用車で6大グループの一角、グループ総合での世界販売実績第6位、商用車においては世界最大のメーカーが出来上がりました。

『ダイムラー・クライスラー』の一部車種では、部品共用や兄弟車関係が行われていました。
一例として『ダイムラー・クライスラー』のクライスラー・300にはメルセデス・ベンツ・Eクラスのコンポーネンツが用いられたり、『ダイムラー・クライスラー』のメルセデス・ベンツ・Rクラスはクライスラー・パシフィカの兄弟車でもあったのです。

『ダイムラー・クライスラー』のメルセデス・ベンツ Rクラス

合併から解消へ至る経緯

ダイムラー・ベンツとクライスラーの経営方針や技術思想にあまりにも違いがあったため、協業開始時から「ドイツとアメリカが手を組めるはずがない」などと陰口も叩かれており、互いに相手との違いを尊重しあう両社の姿勢が協業を継続させる鍵と見られていました。

結局両部門が揃って好業績をあげたのは初年度だけで、クライスラー部門の北米不振はついに解消されず、2007年5月14日、ダイムラー・クライスラーはクライスラー部門を米投資会社サーベラスへ売却することを発表し、同年8月3日にダイムラー・クライスラーは、クライスラー部門の資産管理を行う持株会社「クライスラー(Chrysler LLC )」を設立して、その株式の80.1%を55億ユーロでサーベラスに売却、かつては「世紀の合併」といわれたダイムラーとクライスラーの協業体制は約9年で解消されることとなったのでした。
そして同年10月4日の株主総会によって、社名をダイムラー・クライスラーから現社名に変更しました。

クライスラー・PTクルーザー カブリオ リミテッド」 2007年モデル

なお、協業解消後もダイムラーからクライスラーへの出資(所有比率19.9%)、および業務上の提携関係は継続しました。2009年4月27日、残りの株式をサーベラスに譲渡するとともにクライスラー向け債権15億ドルを放棄すること、3年間にわたり年間2億ドル(計6億ドル)をクライスラーの年金基金に拠出することで、サーベラスおよびアメリカ年金給付保証公社(PBGC)とも合意しました。

2009年4月30日、クライスラーは連邦倒産法第11章の適用を申請して倒産しました。
クライスラーは、アメリカとカナダ両政府から総額100億ドルの公的資金と、フィアットからの技術支援・人材支援を得て経営再建を目指すことになったのです。

クライスラー タウン&カントリー(2009年)

『ダイムラーベンツ』から『ダイムラー』へ

2007年のクライスラー部門解消の際、ダイムラー・クライスラーはかつての社名である“ダイムラーベンツ”では無く“ダイムラー”と改名したのでした。
同時に高級車部門は“メルセデス・ベンツ・カーズ”、バン部門は“メルセデス・ベンツ・バンズ”、系列企業であるダイムラークライスラー銀行は“メルセデス・ベンツ銀行”に改名され、ベンツの名前を尊重する意思は示しているものの、投資家やベンツファンからは歴史と伝統のある“ベンツ”を社名から除いた事への不満も多い結果となっているのでした。

メルセデス・ベンツ・Cクラス 2007年-2013年

『クライスラー』の『サーベラス』傘下へ

2008年に世界金融危機が本格化すると、クライスラーの資金繰りは完全に行き詰るようになった。アメリカ政府はクライスラーの倒産を防ぐために、つなぎ融資として40億ドルを提供しました。
アメリカ政府はさらなる追加融資の条件として、クライスラー経営陣や全米自動車労働組合(UAW)に、4月末という時期を区切って、提携相手候補のイタリアの自動車製造大手のフィアットや債権者団との間で、債務(レガシーコストなど)削減の交渉をまとめるように通告したのです。

クライスラー 300

倒産直前の2009年4月末、ダイムラーは残りの株の全持分をサーベラスに売却しました。最後の数日間の間に、アメリカ政府はさらに追加融資として5億ドルを提供したそうです。

『クライスラー』の経営破綻と『フィアット』が完全子会社化へ

クライスラー経営陣、全米自動車労働組合(UAW)、フィアット、債権者団などの間で、有担保債務(工場や不動産等)69億ドルの圧縮、医療保険基金への支払い義務の106億ドル削減などの交渉が続けられたが、債権者団のうち少数の中堅ヘッジファンドなどが最後まで条件を受け入れなかったため、交渉は時間切れとなってしまいました。その中で、クライスラーとフィアットの提携交渉はまとまったのです。
なんか、ドラマのシーンのようですネ・・・・!

アメリカ時間 2009年4月30日、クライスラーは連邦倒産法第11章の適用をニューヨーク市のニューヨーク州南部地区連邦倒産裁判所に申請しました。

破産法手続により、大株主サーベラスが保有する株式は事実上失効し、新たな持ち株比率は、全米自動車労働組合(UWA)が55%、フィアットが20%、アメリカ政府が8%、カナダ政府が2%となりました。
フィアットは将来的に持ち株比率を35%まで引き上げることが可能になり、さらにアメリカ政府から受けた公的資金を完済すれば、発行済み株式の最大51%を取得して子会社化できる条項も盛り込まれていました。

フィアットが、株式保有率を58.5%にまで引き上げていましたが、2014年1月フィアットは全米自動車労働組合(UAW)の医療保険基金が持っていた残りのクライスラーの株、41.5%を買い取り、クライスラーを完全子会社化すると発表しました。その後、同年10月12日に合併しフィアット・クライスラー・オートモービルズ(英語版)(FCA)が誕生し、翌13日にニューヨーク証券取引所での取引が開始されました。

2015 Chrysler 300 - Review & Test Drive

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