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スバル車を飾るエンブレムマーク。スバルマーク(六連星)と言います

スバル車を飾るエンブレムマークのことを、スバルマーク(六連星)と呼びます。「ロクレンセイ」と読んだアナタ!この記事を最後まで、お読みください!!正しい読み方からスバルマークの生い立ち、このマークに秘められた意味や歴代の変遷まで調べました。

「むつらぼし」って・・・?

CI(Corporate Identity)が叫ばれるようになって久しくなりますが、富士重工業(株)は昭和33年に初めて自動車を世に送り出した当初から、エンブレムマークとして スバルマーク(六連星) を採用してきました。

1958年登場のスバル・360の「六連星マーク」

六連星は 「むつらぼし」 と読み、枕草子 にも出てきた由緒ある 純日本語 であることは、一部のスバルファンのみが知る、チョット誇れるプチ知識かもしれません。

「スバル」と「試作車P-1」

市販車(量産車)で初めて「スバル」という名称が用いられたのは、当時の国民車構想に則って開発された スバル360 (1958年(昭和33年)発売)だったとされていることが多いようです。
でも、実はそれをさかのぼること3~4年、1954~1955年に完成していた試作車P-1に、当時の富士重工業(株)の社長・北氏が「すばる1500」と命名したのが始まりなのです。

スバル・1500(P-1)

トラックのシャシをベースに製作されていた当時の国産車に時代に、試作車P-1(すばる1500)はモノコックボディを採用し、ウィッシュボーンタイプの独立懸架、複動式オイルダンパーなど当時の先端技術を駆使して製作されました。

でも、、当時の企業体力や市場規模などを総合的に勘案した結果、ついに市販化されるに至らなかったことから、関係者の間では幻の名車と呼ばれています。

試作車P-1(すばる1500)は約20台が製作され、その一部が耐久試験車として市内のタクシー会社に渡ったようですが、詳細は不明とされています。
今なお現存するP-1(すばる1500)については、左写真のように矢島工場内の 「スバルビジターセンター」 で見ることができるそうです。

「スバルマーク」と東京大学東京天文台

スバルマーク(六連星)の策定にあたっては、実は東京都三鷹市の 東京大学東京天文台 (現:国立天文台)の協力を得て実現したものだということだそうです。
当時の新生・富士重工業(株)は、富士重工業・富士工業・富士自動車工業・大宮富士工業・宇都宮車輌・東京富士産業の 6社が統合 したばかりで、後の大成成就を願っていました。

そこで、存続会社である富士重工業をマークの中心とし、残りの5社がその周りを取り囲むような意匠のマークを作ることになったのです。

それには、すばる星団(プレアデス)の六連星 をモチーフにするのが最適で、ひときわ明るく輝くアルキオネ(存続会社の富士重工業)を中心に、残り5つの星を他の統合会社に見立てると良いということになったのです。

そして、実際の星の配置を可能な限り模してみよう、ということになり、富士重工業(株)・三鷹製作所(現:東京事業所)の担当者が東京大学東京天文台(現:国立天文台)を訪れ、天文学的なアドバイスを受けてマークデザインを完成させたのでした。
つまり、スバルマーク(六連星)は、富士重工業(株)と東京天文台の 合作 だったのです。

「スバルマーク(六連星)」の内訳

前述したとおり、スバルマークはひときわ明るく輝くアルキオネ(富士重工業)を中心に、残り5つの星を他の統合会社に見立てるというマークデザインになっています。

下の画像内で示される(1)~(6)は、「スバルマーク(六連星)の内訳」に示す各社を現しています。

「スバルマーク(六連星)の内訳」

(1).おうし座25星(アルキオネ):富士重工業を表す星
(2).おうし座17星(エレクトラ):富士工業
(3).おうし座19星(タイゲタ):富士自動車工業
(4).おうし座20星(マイア):大宮富士工業
(5).おうし座23星(メローペ):宇都宮車輌
(6).おうし座27星(アトラス): 東京富士産業

スバルマーク(六連星)のデザインひとつを取っても、わざわざ 天文学的な根拠 を求め、その成果の上で成り立っているのです。
クルマ造り以外でも、富士重工業(株)という会社は真面目だったということを表すエピソードだと言って良いでしょう。
因みにスバルマークのアルキオネは、後に登場するアルシオーネ、マイアはレオーネのお買い特グレード名、アトラスは日産自動車のトラック名で使用された実績があります。

「スバルマーク」の変遷

ところでこのスバルマーク(六連星)は、一時期「ダサい」「過去の古くさいイメージを引きずっている」などの理由で 廃されたことがありました。
でも、CI活動の高まりの中で、数年前にリニューアルされて見事にスバルマーク復活を遂げています。

最後に、このスバルマーク(六連星)の変遷を見て行きたいと思います。
下の写真は、「歴代エンブレムと代表的採用車種」を紹介したものです

「歴代エンブレムと代表的採用車種」

(1):スバル360(1958年~)、サンバー(1961年~)
(2):スバル360デラックス(1962年~)
(3):スバル360(1965年~)、サンバー(1966年~)
(4):スバル1000(1966年~)
(5):スバル360(1968年~)
(6):スバルff-1スポーツ(1969年~)
(7):スバルR-2(1969年~)
(8):スバルff-1 1300G(1970年~)

ご覧のように富士重工業(株)は、初の量産四輪車として大ヒットした「スバル360」の発売当初から、エンブレムマークとして六連星を採用していたんです。

同様に、1971年からの歴代エンブレムマークを、下写真の「歴代エンブレムと代表的採用車種(2)」で紹介します。

「歴代エンブレムと代表的採用車種(2)」

(1):レオーネ・クーペ(1971年~)
(2):スバルR-2(1972年~)
(3):レオーネ・セダン&エステートバン(1972年~)
(4):レックス(1972年~)
(5):サンバー(1973年~)
(6):レオーネSEEC-T・セダン&ハードトップ(1975年~)
(7):レックス(1976年~)
(8):レックス5・SEEC-T(1976年~)
(9):レオーネ(1980年~)

印象深いのは、画像(4)です。
「レックス」とはラテン語で「王様」の意味だったハズです。先進の技術でスバル360は多くの国民に愛されるという名声を得ましたが、モデル末期ではホンダN360にヌカされ、巻き返しを図ったR-2も苦戦。満を持して市場投入されたのが「レックス」ですから、「軽自動車の王様(に返り咲く)」ことは、富士重工業(株)の悲願だったのでしょう。
そう思い起こすと、エンブレムマークも何だか王様の冠(王冠)のような形をしているようにも見えて来ませんか?

同様に、1981年から現在までの歴代エンブレムを、下写真の「歴代エンブレムと代表的採用車種(3)」で紹介します。

「歴代エンブレムと代表的採用車種(3)」

(1):レオーネ・レックス(1981年~)、サンバー(1982年~)、ドミンゴ(1983年~)、ジャスティ(1984年~)
(2):レオーネ(1984年~)
(3):アルシオーネ(1985年~)
(4):レックス・サンバー(1986年~)
(5):レックス・ジャスティ(1988年~)、サンバー(1988年~)、レオーネ(1989年~)
(6):レックススーパーチャージャー(1990年~)
(7):レガシィ(1989年~)
(8):レガシィ(2001年~)
(9):レガシィ(2003年~)

前述しましたが、昭和の終わり頃、レオーネがモデル末期を迎えていたころ、「六連星は野暮ったい」とか「ダサい」と感じる人々が現れました。

レオーネ自体は、4WDにツインキャブを組み合わせたり、日本初の「4WD+ターボ+AT」を開発したり、後のワゴンブームの先駆である「ツーリングワゴン」の発表などと根強い人気を博していましたが、「一部のマニア向け」と言われてしまうことも多かったようです。

このへんの批評の一部が、エンブレム批判へと形を変えて一気に噴出してしまったようで、平成になると過去の六連星エンブレムについてしまった悪いイメージを払拭したかったのか、スバル統一エンブレムを廃し、代わりに車種別のエンブレムを作ろうということになったようです。
結果として、平成初期のスバル車は、輸出仕様以外は車種ごとに独自のエンブレムを採用するようになりました。

ところが、バブルがはじけ企業はそのCIに力を注ぐようになると、「六連星エンブレム復活」を望む声が高まり、おそらく富士重工業(株)内部のコスト削減やCI活動要素と相まって、「六連星エンブレム」は見事に復活したのでした。

スバルの六連星マーク いろいろ / Subaru emblems

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