記事ID356のサムネイル画像

【ランボルギーニ ミウラ】価格は?性能は?

イタリアの自動車メーカー、ランボルギーニが販売するランボルギーニ ミウラ。伝説の闘牛牧場の名前をとって名づけられたというこの車は、車高が低く、流れるようなボディラインが特徴です。今回はこの車の価格や性能など、細かい情報について簡単にまとめてみました。

ランボルギーニ ミウラとは?

ランボルギーニ ミウラ

当時、自動車業界を騒がせた車でもある。

1966年のジュネーヴ・モーターショーで公開されたこのミウラは、当時、ほかに類を見ない12気筒のミッドシップを搭載した2シータークーペとして大きな注目を集めました。ちなみに「ミウラ」というのは、スペインの有名な闘牛牧場の名前であり、ドアを全開にした姿を真正面から見ると、角の生えた闘牛のように見えるように設計されています。その美しさのあまり、熱狂的なマニアも数多くおり、非常に大人気の車です。

ランボルギーニ ミウラ概要

トラクターの製造販売やエアコンなどの事業で大成功を収めたフェルッチオ・ランボルギーニがフェラーリに対抗すべく1963年に興したランボルギーニによって1966年3月ジュネーヴ・モーターショーにて発表され、1966年から1973年までに約750台[2]が生産されました。
ベルトーネによる流れるようなスタイルの2シータークーペでV型12気筒をミッドシップに横置きし、発表時のプレス向け主要諸元によれば350馬力のノルマーレ仕様でもわずか980kgの車体を最高速度300km/hまで引っ張るとされていました(実測データはミウラSで278km/hというデータが残っている)。
当時、12気筒の大排気量をミッドシップに積んだクルマは前例がありませんでした。のちに各メーカーとも類似のスーパーGTを登場させました。
1965年のトリノ・オートショー(11月)で発表され、期待のかかった4L V12をミッドに載せたベアシャーシTP400に1966年3月のジュネーブショーでボディを架装し発表されるや、当時ベルトーネに就任したばかりのマルチェロ・ガンディーニによるその流麗なスタイリングが注目の的となり100を越すオーダーが殺到しました。1967年から生産体制を一応は整えましたが、その時点ではまだリアヘビーによるハンドリングの欠点、パワートレーン系が出す盛大なノイズ、冷却性能、などいくつもの問題が解決しておらず、たくさんのバックオーダーを抱えたランボルギーニはしかたなく生産を続けながら改良を加え、最終的にはリアサスペンションほかに大きな改良がされたSVと呼ばれるモデルが製造されました。
当時ミッドシップスポーツはいくつかが市販されていましたが、ミウラのような大排気量で横置きのものは初めてで開発は難航しました。シャーシ設計およびミウラの開発プロジェクトの発案者はジャンパオロ・ダラーラ。ジョット・ビッザリーニ設計のランボルギーニ・1号エンジンをベースにミウラ用に改良したのはパオロ・スタンツァーニで、シャーシの製造はランボルギーニ1号車(350GTV)からその製作を請け負っていたマルケージ社です。
ボディの設計とデザインはカロッツェリア・ベルトーネで、当時あたり前のようにミウラはジョルジェット・ジウジアーロの作品であると出版物に書かれましたが、実際の原案スケッチから始まる一連の作業はすべてマルチェロ・ガンディーニでした。長年にわたり、ミウラのデザインはジウジアーロかガンディーニかで「ミウラ論争」が繰り広げられて来ましたが、ジウジアーロがベルトーネ在籍時にデザインしたカングーロやテスチュード、さらに1964年にジウジアーロがISOを想定して書いた架空のミッドシップカーGRIFO A3/Cの正面図と側面図から、ジウジアーロのデザイン要素を抽出し、ベルトーネの伝統的なテイストを保持することをガンディーニが放棄しなかったこと、また、流行のボディスタイルが流線型からウェッジ・シェイプへと移る過渡期であったことと、ベルトーネ・チーフスタイリストの交代劇が重なったということから生まれた誤解でした。

価格は?スペックは?

緑のボディーのミウラ

存在感があります。

気になるお値段ですが、約3000万円とのことです。このミウラはいくつかのモデルがあります。1966年にP400(350ps、37.6kgm)が公開されました。次に、1968年に高回転化や圧縮比の向上が加えられつつ、操縦安定性を高めたP400S(370ps、39.5kgm)が公開。そして、1971年には大幅に改良を施した最終型であるP400SV(385ps、40.7kgm)が発表されました。SVはヘッドライト周辺のスリットがなく、リアフェンダーがワイドタイプとなっているのが特徴です。

まとめ

正面から見たもの

ミウラの良さは、当時世界を震撼させる12気筒エンジンへの挑戦だと思います。その速さもさることながら、ある種のブランドに魅せられているのだと思います。「より速いもの、よりいいものが欲しい」という人間の欲求をうまくついたミウラは今現在でも人気があります。この車は、当時の人々の速さへの挑戦へのある種の形でしょう。

関連する記事

この記事に関する記事

この記事に関するキーワード

キーワードから記事を探す

TOPへ