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『K360』。東洋工業の軽三輪トラックです!調べました!性能と価格。

『K360』。ご存知でした?東洋工業(現マツダ)の軽三輪トラック(オート三輪)です。調べました!!この凄さは東洋工業(現マツダ)の『K360』ならではです。『K360』の生い立ちから性能・価格を、ご一緒に見て行きませんか?『K360』の中古車価格も・・・・!

『K360』ってなに・・・・!!

マツダ・K360は東洋工業(現マツダ)が、かつて生産・販売していた軽三輪トラック(オート三輪)のことで、” けさぶろう”の愛称で知られ愛された車です。

東洋工業初の軽三輪トラックとなり、同社のT600とは共通設計の姉妹車でもあります。

マツダ K360 3輪トラック

明るいツートーンカラーで商用車とは思えないスマートさにより人気となったK360ですが、誕生は1959年(昭和34年)でした。

その年は、ダイハツ・ミゼットの2代目となるMP型発売と同じ年で真っ向から比較されていましたが静粛性において『K360』の方が優れていたといわれています。

ダイハツ ミゼット MP5

エンジンは空冷 4ストローク OHV V型2気筒のBA型ガソリンエンジンで、最高出力は11馬力 / 4300 rpm 、搭載位置はキャビン背後の荷台との間、いわゆるミッドシップに縦置きされています。

3速マニュアルトランスミッションとプロペラシャフトを介し、後輪を駆動する方式でした。

『K360』の透視図

なお、この車両とマツダ・B360は1960年代にミャンマーに輸出され、その後は1990年代中期頃まで現地生産が行われていたため、ミャンマー国内では現在でも現役の車両が多数見られるということです。

『K360』の歴史 ━━━ 前期

【前期 Ⅰ型 : 1959年5月~】
●販売開始
●標準色-ホワイト/ピンク(東洋工業ピンクA) 

マツダK360 愛称けさぶろう

【Ⅱ型 : 1960年】(Ⅰ型との変更点)
●フロントバンパー追加
●左サイドミラー追加
●サイドエンブレム「K360」の取り付け位置を45㎜上部に変更

【Ⅲ型 : 1961年~】(Ⅱ型との変更点)
●標準色-ホワイトグレー/サマーセットブルー
●ヘッドライトを大型のシールドビームに変更
●ヘッドライトリムを塗りからメッキへ変更
●ハンドル変更

【Ⅳ型 : 1962年3月~】(Ⅲ型との変更点) 
●標準色-Ⅱ型に同じ
●シートを30mmのフェルトから100mmのウレタンラバーをビニールレザーで包んだタイプに変更
●荷箱の鉄板厚を1mmに変更
●キャビン背面の材質をベニア板から鉄板へ変更

『K360』の歴史 ━━━ 中期

【Ⅰ型 : 1962年~】(前期Ⅲ型との変更点)
●標準色-パールグレー/ハーバーブルー
●サイド窓を上下4段スライド式に変更
● 三角窓追加

【Ⅱ型 : 1962年8月~】(中期Ⅰ型との変更点)
●標準色-中期Ⅰ型に同じ 
●ホーンボタンをハンドル中央に移設(ハンドル変更)
● ウィンカーレバーをハンドルコラムに移設
●ライトスイッチのデザイン変更
●フロント側面にベンチレーター追加
●ドアヒンジの板厚を16mmから23mmへ変更

『K360』の歴史 ━━━ 後期

【Ⅰ型 :1964年1月~】(中期Ⅱ型との変更点)
●標準色-ポーターホワイト/ラビットグレー
●幌形ルーフを全鋼型ルーフに変更
●クラッチ、ブレーキペダルを吊り下げ式に変更
●内張りにレーザー付きウレタンを採用
●助手席もフォールディング式に変更
●灰皿、ルームランプ、助手席ハンドレストを追加
●テールランプを上下2段分割に変更
●スピードメーターのデザインと取り付け位置の変更
●スピードメーターケーブルの取り出しをミッションからに変更
●ホイールベースを35mm、トレッドを20mm延長
●リヤリーフスプリングを7枚から8枚に強化
●ブレーキオイルのリザーブタンクの位置を変更
●燃料タンク容量を12㍑から15㍑に増量

1964年型 マツダK360

【1969年】
●量産終了 

【Ⅱ型 :1970年~?受注生産?】(後期Ⅰ型との変更点)
●標準色-後期Ⅰ型に同じ
●保安基準変更によりサイドマーカー追加(T600と同じ) 
●      同    ヘッドレスト追加

『K360』の海外輸出

『K360』は小型で機動力の良さが評価され諸外国へ輸出もされました。
例えばビルマ、イラン、沖縄、台湾、クエート、北米、南米、オーストラリアなどへの輸出でした。

昭和34年イランの対日輸入制限直前に100台の輸出契約を締結し船積みされてたほか、ビルマ(現ミャンマー)へは昭和34年7月に最初の50台が船積みされてます。
その後、昭和35年にはビルマとさらに300台の輸出契約が交わされ同1月に200台、2月に100台が船積みされてます。

昭和37年7月、ビルマでは日本の戦後賠償の一環としてK360の製造ラインが提供され現地でノックダウン生産も始まりました。

ちなみに、K360のノックダウン生産は、同年1月から韓国の京城精工でも行われてました。
京城精工は同年4月に起亜産業と社名を変更し、その後平成2年にも起亜自動車と社名を変更後、平成9年に倒産し現代自動車の傘下に入ってます。

『K360』の新車価格

ここでは『K360』の新車価格や中古車価格を見て行きたいと思います。
まずは『K360』の新車価格です。

まずは、当時の新車価格を知りたくて調べてみましたが、当時の新車価格を記載する資料として『K360』のカタログが唯一見つかりました。

昭和40年前後の『K360』のカタログ

このカタログには、「車両価格は230,000円」と表示されています。

『K360』を今買うと・・・・価格は?

そこで、今のお金に換算する事によって、価格を実感してみたいと思います。

そのためには、当時に1万円ぼ価格の物が、現在は何円ぐらいなのかということから、大体の価格を見てみることにします。

好都合にも、企業物価および消費者物価の戦前基準指数が1つの参考材料になります。

(1) 企業物価指数   735.4  ÷  359.4 = 2.0倍
              (平成26年)(昭和40年)

(2) 消費者物価指数(東京都区部)   1,786.1÷ 443.2 = 4.0倍
                        (平成26年)(昭和40年)

企業物価の戦前基準指数を見ると、平成26年の物価は昭和40年の約2.0倍なので、昭和40年の価格1万円は平成26年の価格約2.0万円に相当する計算になります。
また、消費者物価では約4.0倍なので、価格約4.0万円に相当するという計算になります。

そうすると
車両価格は230,000円でしたから 企業物価指数換算だと
         現在の車両価格  23万円 × 2.0 =46万円
または、消費者物価指数換算で
         現在の車両価格   23万円 × 4.0 =92万円
となり、当時としてもかなり安い価格であったと言えそうです。

『K360』の中古車価格

次いで、『K360』の中古車価格を調べたく、国内の各中古車価格掲載サイトを調べてみました。

以下にその内容を記します。

≪K360(マツダ) 3輪トラック 昭和42年(1967年) ≫
●車両価格:99.0万円(消費税価格込み)
●年式:昭和42年(1967年)
●走行距離:不明
●車検:車検整備無
●排気量: 360cc
●燃料: ガソリン
●ハンドル:  右
●ミッション : MT
●駆動: 2WD
●乗車人数: 2人
●ドア数: 2

K360(マツダ) 3輪トラック 昭和42年(1967年)

車両価格:99.0万円(消費税価格込み)

また、別のサイトには

≪マツダ(マツダ) K360 昭和43年(1968年)≫
●車両価格:応談
●年式:昭和43年(1968年)
●走行距離:3万km
●車検:2016-05
●排気量: 360cc
●燃料: ガソリン
●ハンドル:  右
●ミッション : MT
●駆動: 2WD
●乗車人数: 2人
●ドア数: 2

マツダ(マツダ) K360 昭和43年(1968年)

車両価格:応談

とありましたが、他に掲載せれている物件はどれも上述したものをたがいに掲載しているもののようです。
結局、今現在日本の中古車価格掲載サイトには2台の『K360』が登録されているのみでした。

『K360』のまとめ

マツダ(東洋工業)が、かつて生産・販売していた軽三輪トラック(オート三輪)の『K360』。
” けさぶろう”の愛称で親しまれた『K360』。

海外でも重宝され、日本国内でも戦後の日本を好景気の日本へ誘った陰の立役者ともいえるであろう『K360』。
懐かしい形とその価値であったことを改めて確認できた調査でした。

マツダK360

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